2020年08月14日

延命処置についておもうこと

昨日の日記に入所に関していろいろ説明があった中で、命にかかわる可能性がある延命処置のことや誤嚥につても細かい説明がありました。ということで、誤嚥については昨日ちょっと書いたので、今日は延命処置についてかこうと思います。

入所の説明で延命処置に関していろいろ説明を受け「延命処置に関してどうしますか」と聞かれたときに父は「まあ、その時の状況で」なんて言っていたんですね。

確かに、その時の状況って言うのもわからないじゃないけれど、それだと個人によって感覚が違ってくるわけです。

言い方を変えると、はっきりしていない分、どうしていいかという判断基準がないということになるわけです。

一番身近な話しで言うと、1年前、私の手術の前日に病院に運ばれた時点で、延命処置をしていなかったら母はどうだったんだろうって考えることが良くあります。

運ばれた直後のことはわかりませんが、嫁に話しを聞くとほぼ意識はなかったとのこと。

私が退院してから母のところに見舞いに行って声をかけてもまったく反応はありませんでした。

生前、母と話しをしていると「はやくお迎えが来てくれればいいのに」とか「寝込んでみんなに迷惑をかけるのは勘弁してほしいし」なんてことをよく話していたことをおもいだすと・・・

母の本意ではないのかなっておもいながら面会に行っていました。

こういう書き方をすると、認知症の人だって気持ちがあるし、認知症になった時の気持ちがお前にわかるのかよっていわれそうなのもわかっています。

別に私の言っていることを正当化しようなんて思っていませんが、じゃあ、本人の意志ってどう理解するばいいんだろっておもうことがあるんですね。

私の母の場合、2ヶ月半言葉を交わすこともなく、栄養点滴を受けながら寝ている母を見るだけでした。

そのたびに母に「辛い思いさせてごめんね」って何度いったことか。

でも、「お母さんは早く逝きたいけど、お前が葬式に出られるまでは頑張るわ」っていってくれてたように聞こえたので、それが母の想いだと思えば、意識が無くても生きたいという気持ちは思っているって言うことになるんですが・・・

もし私が大腸癌で入院していなかったら、「早く楽になりたかったんだろうな」っておもうばかり。

上手く言えなくて申し訳ないんですが、車いすに乗って施設に入所する母を見ていると、認知症でぼけていても、物は食べるし反応はするんで、まだまだ元気でいるんだっておもうのが普通ですよね。

そこに、「延命処置はどうしますか」っていう話しを聞くと・・・

私にとっては「そういう時が遠からずくるんだな」っていう心の準備をしながら母と接することができたことはよかったと思っていますが、皆さんはどうおもうんでしょうね・・・

批判のご意見もあると思いますが、施設を利用する場合、自分たち(利用者側)の気持ちばかり考えるのではなく、施設側の利用者家族に対する配慮も考え対応してあげてほしいと思います。



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Posted by  熊吉 at 22:08│Comments(0)母との想い出
 
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