2019年10月02日

認知症の母、本能で家路に・・

認知症の兆候ということで、2019年09月24日にいくつか書き出しましたが、外出しても自力で帰宅できない。という内容で書くつもりが、前日の日記に、自分で勝手に帰ってきてしまったという逆の内容を書きました。

前日の内容を見た方にすれば、「お母さん、タクシーで帰って来れるなんてたいしたことないじゃん」とおもわれた方もいるかと思います。

確かに、このころの母は要介護2くらいなので、自分で歩けたし、私が話しかけてもわかっているかいなかは定かではないですが、まだらではありましたが会話をすることもありましたが、いまいち、おふくろがわかっているのかいないのか、こちらが理解できずにいたころでもありました。

じゃあ、どうしてこういう行動に至ったのかというと・・・

認知症の人の場合、新しいことを覚えるのは大変らしいのですが、昔からやっていたことについては頭が覚えているらしく、認知症になっても生活していく中で行動として行われることがあるそうなんですって。

母の場合、昔からマッサージや針をはじめ、病院に行くときには、足代わりにタクシーを使っていました。

しかも、それだけタクシーを使っているので、顔なじみの運転手さんのタクシーに乗ってしまえば家まで連れて行ってもらえる可能性があることを考えると、認知症の母がタクシーで帰ったとしてもおかしくはないかっておもえるんです。

認知症と言っても、介護2だったりだったりだと、会話が繋がったり意思の疎通ができるから大丈夫とおもっていた時期のことでしたので、本当にびっくりしてそれからというもの、自分で歩けていただけに、どこに行ってしまうのか心配ばかりしていましたね。



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2019年10月01日

「タクシーでひとりで帰った」認知症の母

認知症の兆候ということで、2019年09月24日にいくつか書き出しましたが、母のことをおもいだしながら、ひとつひとつ、もう少し詳しく書いていきたいとおもいます。

いくつか書いた中で、外出しても自力で帰宅できない。ということについて触れたいところなんですが、母の場合、認知症がひどくなってからはひとりで出て行って帰ってこなくなったことはありましたが、認知症ってわかるまでの間は、ひとりで出て行っても返って来れていたので、さほど気にはならなかったんですね。

そんなわけで、帰ってこれなくなったというのはすこし後にさせていただくこととして、その逆に勝手にかえってしまった話しをひとつ書かせていただくことにします。

ある時、父の代わりに母を病院に連れていったときのことです。

病院内の駐車場がいっぱいだったので、ちょっと離れたところに車を停めて、病院に行くときは母と一緒に行ったんですが、診察が終わってから車まで歩いていくのが大変だと思って、病院の玄関先の椅子に座って「待っててね」と言って、車をとりいって戻ってきたら母がいないんです・・・

慌ててあちこち探したんですかいない・・・

探しつかれていたら携帯が鳴ったので、電話に出ると近所のおばちゃんでした。

その電話の内容が「お母さん預かってるけど」っていう電話だったんです。

母がタクシーで帰って来た時に、ばったり行き会ったんで保護してくれたとのこと。

ここまでの話しだと、軽度の認知症の人でもありうるだろうって思う人もいることだとおもいますが、そのとき、母は財布は持っていませんが、タクシーに乗って帰ってしまったんですね。

ただ、認知症の人にすれば財布を持っていないのもわからなければ、そのままタクシーに乗ってしまうことだってある話しです。

では、なぜ、認知症の母がタクシーで帰ったかというという話しになるんですが、長くなるので、続きは次回の日記で書くことにしますが、簡単に言ってしまうと、本能だったのかもしれませんね。



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2019年09月30日

「チラシの同じ切り抜きが何枚もあったら」要注意

認知症の兆候ということで、2019年09月24日にいくつか書き出しましたが、母のことをおもいだしながら、ひとつひとつ、もう少し詳しく書いていきたいとおもいます。

いくつか書いた中で、部屋を散らかす。ということについて触れてみたいとおもいます。

綺麗好きの母でしたので部屋が散らかるということはなかったのですが、ひょっとしたら認知症のサインだったのかもしれない行動だったのかもしれないことがあるということを書きましたが、そのことについて触れてみたいとおもいます。

高齢の方に限らず、チラシや新聞掲載の宣伝広告の一部を忘れないように切り取ってあちこちに貼ることがあるとおもいます。

それ自体は何の問題もないのですが、いつの頃からかは覚えていませんが、同じものがあちこちに貼られるようになったんですね。

ときには、同じ場所に同じものが何枚も貼ってあったり・・・

はじめは、どうしてかな?とおもっていたんですが、いろいろ考えてみたら・・・

このような行動って、以前に貼ったことを忘れたということに繋がるのかなと思ったりするんですが・・・

母の行動を見ていたら、こんなことも認知症の人の行動なのかなとおもったしだいです。


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2019年09月29日

「ごはんは何を食べたの」の答えに注意

認知症の兆候ということで、2019年09月24日にいくつか書き出しましたが、母のことをおもいだしながら、ひとつひとつ、もう少し詳しく書いていきたいとおもいます。

そこで今日は、食事したことを忘れるについてです。

2019年09月24日にの日記には、「ごはん食べた」って聞くと、「食べたよ」っていう話しをしてましたから、食べたことを忘れるということはなかったような気がします。ということで終わっていますが、もう少し掘り下げてみると、こんな会話になることつてありませんか?

私「今日の昼はなにを食べたの」

母「冷蔵庫にあるもので済ませた」

私「だから、なにを食べたの?」

母「だから、あるもので済ませた」という会話です。


いまになってみると、ひょっとしたら認知症が始まってたのって思うことにもつながるんですが、確かに通常の家族の会話として成り立つともいえます。

私としては、ご飯だったり、みそ汁だったりとそういうことを聞きたかったし、じゃあ、みそ汁の具はなんだったのっていう会話に広げたかったのですが、こんななやりとりがよくあったようにかんじた時期がありました。

考え方を変えてみると、食べたことは覚えているけれど、なにを食べたかまでは覚えていないという考え方もできるかと思うのです。

確かに、昼飯を食べて半日や1日経っているならわすれるってこともあるかとおもいますが、食べてから1~2時間程度のことなので、そりゃー、みそ汁の具が「あれと、これと、あれで」なんて全部覚えているとは言いませんが、みそ汁を食べたとか、具は何って聞いたら、いくつか入っていても、ひとつや二つは覚えているとおもって聞いてみると、上記の会話のように見事におおざっぱな答えがかえってきていたんです。

ただ、普通に聞いていると、会話が成立しているだけに、これも高齢から来る物忘れからものなのか、認知症から来る症状なのかっていうことは難しいですが、母の経験から、食べたことは覚えているが、なにを食べたのがわからなくなることが多くなったら、気をつけてあげてほしいと感じました。


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2019年09月28日

母との経験を皆さんへ

本来なら、あまり日記に書くべきないようではないのに多くの方に見ていただき、ありがとうございました。

親の方が子供より先に逝くのは当たり前のことでわかっているんですが、亡くなってみると寂しいものです。

若かりし頃の母は、メチャクチャ元気だったそうですが、私や兄の出産のときに帝王切開をして体調が悪くなったと言っていましたが、私が子供のころ覚えている母は、1日中、動いていないと気がすまない母でした。

そんな母がどうして認知症になったのかって思う人もいますよね。

2019年09月24日の日記に少しですが、母が認知症になるきっかけを書いたりしていますが、私は母が60歳を過ぎたらあたりから認知症になるとおもっていました。

こういう書き方をすると、なんて親不孝なって言われそうですが、そのことについては、後々、書くことにしますが、母は、自分の体が弱いということで、かなり健康に気を使う人でした。

体を大事にするために、マッサージに行ったりハリに行ったり、いろんなことをしていたひとでした。

そんな母でしたので、私がここの日記に母の認知症のことを書くことについては、「私(母)にたいして経験したことで、皆さんのお役に立てることがあれば皆さんにお話ししてあげれば」っていってると思うんです。

勝手なおもいこみかもしれませんが、介護を経験した人だから思えることや感じる事っていっぱいあると思うんです。

母との経験を大事にしながら、介護で大変なおもいをしている方にいろんな情報を提供していきたいとおもっていますので、介護で悩んでいる方がいたら、気晴らしに覘いていただければ幸いです。
  


Posted by  熊吉 at 21:21Comments(0)★認知症の母を見てて

2019年09月27日

母が亡くなりました

7月に急に食事ができなくなって、私の手術の前日に施設の系列の病院に緊急搬送され、しばらく入院後、食事がとれないけれど、症状が安定したので施設に戻り、点滴で栄養補充をしていた母ですが、9/26日の夜に亡くなりました。

食事がとれないということで、母が亡くなったらきっと号泣するのかと思っていたのですが、泣いていましたが号泣まではいかず・・・

なんでこんなに冷静でいられるのって思ったんですが・・・

きっと、母が「お母さんはいなくなるけど頑張るんだよ」って、私に心の準備ができるようにと、2ヶ月半、頑張ってくれたおかげだったのでしょうか、おもっていたより冷静に母の安らかな顔を見ることができのではないかとおもいます。

90歳まで頑張った母をみていたら、大腸癌で体調管理が大変だなんていってられないぞ。






  
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Posted by  熊吉 at 16:16Comments(0)★認知症の母を見てて

2019年09月23日

私の母も嫌がっていました

テレビで芦屋小雁さんの奥さんが献身的につくしている場面が流れていました。

あのコーナーを観ている人たちの中には、実際に介護をしている人や、いまは介護に関係がない方などいろんな人が見ているとおもいますが、どう感じましたか。

私、テレビを観ていて、なんで行くのを嫌がっているんだろうっておもいながら観ていたひとりです。

実は、この件に関してですが、私の母も行くのを嫌がっていて、「私は施設に行くくらいなら死んだ方がましだ」と何度も言っていました。

ただ、母の場合は「私は施設に行くくらいなら死んだ方がましだ」と言っていたのは、まだ認知症になる前のことですが、理由ははっきりわかっていません。

しかし、認知症になってから施設に通う段階になった時には、本当に行ってくれるのか家族で心配しましたが、問題なく行ってくれるようになりましたが、どうして嫌がってていた母を施設にお願いするようになったかというと・・・

父にしたら、「俺が〇〇の面倒を見るんだと言って頑張っていましたが、」ひとりで家のことから、母のことから全部っていうのは限界があったんでしょうね。

そんな経緯があって、お世話になることになったわけですが、少しホッとできる時間ができたので、心にゆとりができるようになったように思います。

当時、元気なときに施設に行くことを拒否していた母のことをおもいだすと、小雁さんの場合は、なにがあそこまで拒否させるのか?ということになるわけですが、何かのきっかけで、少しでもデイサービスやショートスティなどの施設を利用できるようになってくれればいいなーとおもいながら観ていました。
  


Posted by  熊吉 at 17:33Comments(0)★認知症の母を見てて