2019年10月18日

安心できない軽度の認知症

認知症の疑いがあって、病院に連れて行くのは難しいっていうことを何日かにかけて書きましたが、あらためて考えると大変なことだとおもうんです。

じゃあ、どうするかっていう話しになるんですが、簡単に連れて行くのはたやすい話しじゃないんで、皆さんの知恵をお借りしながら考えたいと思っているので、何かいいアイデアがあったらコメント欄にお願いいするとして、今日は、母の認知症が軽度の時の話しを少ししたいと思います。

母と一緒に病院に行ったときのことです。

母「おかあさん、ちょっとトイレに行ってくるね」というので・・・

私「トイレの場所わかる」って聞くと・・・・

母「わかるよ」と言って、トイレの方向に歩いて行き、トイレのドアを左にスライドして開けて入って行きました。


実は、ちゃんとトイレに行けるか心配で見ていたんですが、無事に入って行ったのでひと安心・・・

ところが、しばらくすると、トイレのドアを叩く音が・・・

そうです。母がドアを叩いているんです。

トイレに行ってくるという会話から、自分ひとりでトイレのドアを開けて入って行った母が、トイレのドアを開けられなくなったっていうんですから、びっくりですよ。

病院のトイレですが、なかから施錠する仕組みになっているので、鍵がかかっていたら外からは開かないじゃんとおもったんですが、スライドしたらなんと開いちゃったんですよ。

ということは、トイレのドアを開けて入ったまではいいけれど、鍵をかけ忘れてたっていうことなんですよね。

さすがに、軽度で話が通じていたり、行動が大丈夫そうに見えていても、心配することばかりです。


  


2019年10月16日

術後、3ヶ月たちました

7/16日に大腸癌の手術をしてから、今日で3ヶ月がたちました。

想い起こすと、長い3か月間でした。

とくに、術後の1週間は、飲み食いがほとんどできず。

術後、2週間目からは、トイレの往復で寝られず・・・

退院後、しばらくは、食事管理を自分でしないといけないので、なにを食べたらいいのかがわからずにイライラして嫁さんに当たりちらしたり・・・

食事が少ないと、当然、◆の出も悪くなるんですが、出ないからと言って不安な日を送ったり・・・

その逆に、何回もトイレに駆け込んだり、紙パンツを汚したり・・・

血◆が出たと言って、焦って救急にとんで行ったり・・・

術後、2ヶ月半になったら、母が亡くなったり・・・

このサイトにそぐわない内容の日記なのに、皆さんに読んで頂き、励ましていただいたり・・・

本当にありがとうございます。

私が経験したことが皆さんのお役に立てるかわかりませんが、ほんのちょっとでも皆さんのお役に立てればとおもって、これからも書かせていただくこうとおもっていますので、よろしくお願いします。
  


2019年10月15日

血糖値が半分になったけど・・・

カテゴリーを少し整理していたら糖尿病のことについて最近書いてないことに気づいたので、これはいかんと思い、その後、どうなったのかということを少しかこうと思います。

10月に検診があり、血液検査などをした結果、血糖値は130程度まで下がって、全盛期の270オーバーに比べて半分以下にまで改善。

8月の時の検査と比べて変化なし・・・

ということで、薬を減らしてみようとうことになり、トラゼンタ5mgの錠剤を朝だけ1錠と、メトホルミン250mgMTの錠剤を朝晩に1錠ずつ飲んでいたのを トラゼンタ5mgはやめて、メトホルミン250mgMTの錠剤を朝晩に1錠ずつだけ飲むことになりました。

まあ、最近までは大腸癌の手術のこともあり、食事制限もしていたので無茶食いをすることもなかったせいか、血糖値も上がらずにすんでいたってこともあるんですが・・・

明日になったら大腸癌の手術から3ヶ月がたつので、安心して無茶食いや夜遅くの間食をしないように気をつけて行こうと思っています。
  


Posted by  熊吉 at 19:58Comments(0)★糖尿病について

2019年10月14日

ひとりで悩まず相談しよう

昨日の日記に、市役所の福祉課などに行って相談するとか、いろんな方法があるけれど、という話しを書きました。

確かに、どうしたらいいか不安でいっぱいの人にとっては、まさに駆け込み寺的な存在だと思いますが、最終的な判断は、医者に行って診てもらうことが必要になってくるので、じゃあ、どうすればいいのっていう話しになるわけで・・・

こういう書き方をすると、なかには、じゃあ、福祉課みたいな介護関係の課なんていらないじゃん。ていう人がいるんですが、利用の仕方次第では非常に頼りになるところででもあるんです。

私の場合は、たまたま知り合いに介護をやっている方が何人もいたので、その方に直接話しを聞いてもらい、その方々のアドバイスに沿って動いたので、スムーズにことが運びましたが、なかには、周りに介護関係の仕事をしている人がいないという方もいるとおもうんです。

そうなると、認知症に対しての情報が手に入らないので、どうしていいかわからなくて右往左往してしまうってことあるとおもうんです。

そういう方は、市町村の福祉課など、福祉に関する課に「これこれしかじか」相談に行って話しをすれば、「医者に行くにはこうしたらいい」とか「こういう状態ならこういうふうにしてあげてみたら」とか、いろんなことを教えてもらうことができるのことで、ひとりでどうしようって考えてアタフタしているより、心にゆとりができるようになるのではないかとおもうことがあります。

それと、現在、認知症かもしれないという家族がいる方は「もし、おじいちゃんorおばあちゃんが認知症で無かったら恥ずかしいし」、とおもって相談に行くのをためらっている方がいたら、ひとりで悩んでいるより、一度、相談に行きましょう。

認知症で無ければ、それで良しとおもえばいいじゃないですか。

逆に認知症だったら、いろんなことを聞いて、早い対処をしてあげられれば、症状の進行を遅くできたりすることも可能なので、ひとりで悩むより、いろんな人に相談することが解決の早道に繋がると思います。
  


2019年10月13日

医者通いをしていない人はどうする

医者通いをしている人の場合は、医者通いをしていない人に比べて事がスムーズにことが運びやすいということを書きましたが、とくに、いままで医者通いをしていな人の場合、どうしたらいいかっていう話しがあるんですよね。

例えば、市役所の福祉課に行って相談するとか、いろんな方法があるって聞くんですが、結局は、福祉課の人が来て、いろいろ尋ねたり、医者に行って診てもらうように勧めるなど、お医者さんに行くという前提で話が進むことがおおいようです。

ということは、結局「なんで医者に行かないといけないんだ」っていうやりとりになってしまうケースも多いと聞くことことがあります。

じゃあ、どうするんだ。ということになるわけですが・・・

これから書くことは、あるかたと話していた時に出た話で、実際にやってみたら偶然とはいえ、うまくいったというので紹介したいと思います。

登場していただくのは、現在78歳の男性Aさん。

家族がAさんの行動や言動がおかしいと気づいたのが、76歳の時だそうです。

ただ、このAさん。
元気いっぱいでほとんど医者にもかかっていないというので、医者に連れていくにも大変。

そうです。
場合よって、「なんで医者にいかないといけないんだ」って意固になっちゃう可能性がありますからね。

そこで家族会議をして考えだしたのが「おじいちゃんも高齢だから、たまには健康診断(精密検査)をしましょう。」という作戦をたてたそうです。

確かに、普段、医者に行かない人になら使えるかもしれませんね。

あとは、健康診断(精密検査)の項目によって、いろんな検査項目があるので、どこまでするのかにもよりますが、別に認知症の疑いがあるかないかの診察もしてもらえばいいことだとおもうので、ありかもしれませんね。

実際、Aさんの場合、血圧が高いというのがわかり、医者通いをすることになったわけで、家族からすると認知症の疑いがあるのかが心配だという話しもしながら、血圧と認知症の経過観察をしながら来院をしているようですが、いまのところ、認知症に関しては問題はないだろうという話しだそうです。

ただ、血圧に問題なかったら認知症に関してはどうするんだろうっていう話しなってくるわけですが、それを言われると言いようがないんですが、これもひとつのきっかけということで考えていただければさいわいかと・・・

家族の方と話しをすると、偶然とはいえ、血圧の治療もでき、認知症の経過観察もしてもらえるようになったことだけでも、これから先を考えると安心できるようになったと話してくれました。

2019年10月11日の日記にも書きましたが、認知症への第1歩の、どうやって病院に連れていくかっていうのが、ほんと、大変なんだと思いますね。




 2019年10月11日の日記はこちらからご覧いただけます。 


  


Posted by  熊吉 at 20:53Comments(0)介護認定まで

2019年10月12日

かかり付け医があるか無いかで発見は違う

認知症の認定には、お医者さんの診断が必要になるので、医者に行く必要があるということを書きましたが、とくに、いままで医者に行っていない人に「医者に行ってみようよ」と言っても、「病気でもないのに何で医者に行かないといけないんだ」って喧嘩になっちゃいそうですよね。ということを書きました。

では、母の場合はどういう経過で認知症の診断がでるようになったかということについて書いてみたいとおもいます。

母の場合、まず膝が痛いということで街のお医者さんに通っていました。
この時はまだ、認知症の症状が無いときでした。

何年か通っているうちに、かかり付けの先生が、母の言動や行動がちょっとおかしいということに気づき、総合病院で膝の検査をしましょう。ということにして紹介状を持って総合病院へ行くことに・・・

膝の検査をどういう話しから頭部の検査に変えたのかについては覚えがなくていけないんですが、頭部の検査や問診など、いろんな検査をしたところ、認知症だという診断がでたわけです。

たまたま母の場合は、診療科目が違うのにも関わらず、対応していただけたことは有り難いことですが、いまになっておもうと、膝で紹介状を持っていったのに、頭部の検査をしたことに疑問を持たなかった母のことを考えると、この頃から、すでに認知症の初期症状(俗にいう、まだらボケ)があったんだとおもいますが、普段、話していると、そんなに気にならなかったか、気づくのが遅かったまかもしれません。

こういう話しをすると、診療科目が違うのにっていう人がいます。

確かに診療科目が違うんですが、かかり付け医と言うと、長いお付き合いの中で信頼関係ができているので、いろんな話しができる環境でもあるとおもうんです。

母の場合は、診療科目が違うけれど、気にかけていただいた結果、にんちしょうということがわかったわけです。

そう考えると、「こんなこと言っていいかな」とおもわずに、おかしいとおもったら相談してみるのもいいのではないかとおもいました 。

  


Posted by  熊吉 at 22:31Comments(0)介護認定まで

2019年10月11日

病院に連れて行くのは難しいぞ

昨日の日記に、いままで我慢していた揚げ物を少しだべたという内容を書きましたが、少しづつ食べていけるようにとになったので、ひと安心。

また、なにかしら変化が起きたら日記にすることとして、今日からしばらくの間は、母の経験をもとに認知症について書こうとおもいます。

いままでは、こういう症状が出ると認知症の可能性が大きいという話しをしてきました。

ただ、最終的には、お医者さん行って、お医者さんが「認知症です」という診断を出さないと介護保険は使えないんですよね。

じゃあ、医者に連れて行って診てもらえばいいじゃん。という方が結構いるんですが、そう簡単にはいかないという話しを耳にすることがあります。

大きな理由としては、認知症の場合、本人が認知症っておもっていなくて生活しているひとも多いと言われています。

そんな状態の人に認知症かもしれないから医者にいこうよ。と言っても行くひとってほとんどいないとおもうんですね。

じゃあ、しばらくほっておいて、本人の判断能力が衰えてから医者に連れて行けばいいかっておもいますよね。

そうなったら、認知症が進んでいる可能性があり、手遅れになってしまうことも考えられるので、それはそれで困っちゃいますよね。

そう考えると、どうやって医者に連れて行くかっていうことが大きな課題だと私はおもうので参考になるかわかりませんが、母はどうやって医者に行き、介護認定をとったのか、そのことについて次回から少しづつ触れていきたいとおもいます。
  


Posted by  熊吉 at 19:46Comments(0)介護認定まで

2019年10月10日

揚げ物食ったど~

母が9/26日に亡くなったことは以前書きましたが、実は葬祭場が混んでて、葬儀は10月に入ってから行われました。

普通なら、亡くなった翌日か翌々日にはお通夜が行われて、その翌日には火葬、葬儀と目まぐるしいくらい忙しくて、お別れも満足に出来ないことが多いのに、ゆっくりお別れができたのは有り難いことでした。

さて、なぜ母の葬儀の話しに戻ったかというと、お通夜の後の「なおらい」(食事会とでもいうんでしょうか・・・)のことを書きたかったんです。

病院でも、先生が「量さえ加減すれば、もう何を食べてもいいよ」と言っていただきましたが、さすがに◆の調子が良かったり悪かったりりしていたので、天婦羅はじめ、フライ物や油がこってりした炒め物は食べないようにしていたんですね。

ところが、お通夜の後の食事会というと、いろんなものが出てきますが、揚げ物が出てくることが多いとおもうんです。

とりあえず揚げ物はさけて、普段、食べているようなものを食べていたんです。

すると、嫁さんが、「先生が大丈夫って言ってるから食べてごらん」て言ってくれたんですが、とりあえず拒否。

暫くすると、また嫁さんが「お母さんの供養だから食べみ」と言って、軟らかそうな野菜の天婦羅をお皿にとってくれたので、恐る々々食べてみたら美味しかった。

嫁さんに「もうひとつ食べていい」って聞いたら、いくつか皿に取ってくれて食べたら、ひさしぶりだったこともあり、おいしかった・・・

あっ、さすがに調子づいて唐揚げやとんかつなんかも「食べたい」って言ったら、そこは却下されました・・・

そのあと、紅ショウガがのっていたお稲荷さんも「大丈夫だらか食べてみ」と言って、お皿にとってくれたのを食べたらおいしかったこと・・・

食べていいと言われても、まだまだ怖くて食べられなかったものを食べる機会が母のお通夜になるとは夢にも思わなかったけれど、こういう機会が無かったら、まだまだ自分自身で食事制限をしていたことだとおもいます。



  


Posted by  熊吉 at 18:47Comments(0)★食事について退院後

2019年10月09日

久々にやっちゃった・・・

9/30(月)になったら、朝からまったく出る気配がない・・・

下剤を投入するか迷ったんですが、いままでも午前中は出ないこともあったし、9/28日と9/29日にあれだけ出たから、多少、出なくても仕方ないかとおもいながらも、出ないとなるとやっぱり不安。

ひとまず午後まで様子を見ていたら、15時ころに出そうになったので、トイレに行ったら少しだけど出たので、とりあえずひと安心・・・

ところが、トイレに行って、紙パンツを下げた時にびっくり。

ほんの少しですが紙パンツに漏れちゃってたんですよ・・・

しかも、15時頃にトイレに行くまで全く出そうな気配はなかったから、漏れるかもor漏れたかもっていう自覚は全くないのに・・・

たいした漏れではないんですが、最後に下剤を飲んだのは9/27の11:55頃なので、75時間くらい飲んでいないわけで・・・

時間的に考えると、かなり間が空いてるから、こんな状態になるとは思っていなかったので、焦るやら、びっくりするやら。

その後は、トイレに行く回数もそこそこあったし、量もそこそこ出てくれていたし、紙パンツも汚れることはなかったので、ひと安心。

術後から2ヶ月半近くたったので、いろんな物を食べ始めていることもあり、腸のほうも対応できる時もあれば、対応しきれないこともあるので、もう少しで、切れ目の術後、3ヶ月になるとは言っても、気をつけていかないといけないかっておもい直す機会になりました。



追記
通常の日記としては、あまりそぐわない内容になっているかとおもいますが、なぜこのような日記を書いたのかという説明の日記を2019年09月12日分に書いているので、 はじめてお越しの方は、本日の日記と併せて見ていただければ幸いです。

2019年09月12日の日記はこちらからご覧いただけます。

  


Posted by  熊吉 at 18:46Comments(0)★術後の様子はR元年9月